ビジネスと技術の狭間で

データを活用して生きていく

振り返り

今年、人生初の転職をしました。
良い機会だと思うので
これまでの仕事観、キャリアなどについて振り返ってみます。
無駄に長くなってしまいました。

高校時代

将来の夢などありませんでしたが
進学校の雰囲気に飲まれて3年間それなりに勉強をしました。

進学先の決定にあたっては、諸々の制約から大学はすぐに決まりましたが
学部・学科については社会を知らない十代なりに悩みました。
将来のイメージがないまま安易に進学先を選ぶのは良くないのではと考えて
一時は浪人することも考えたほどです。

でも結局は、浪人中も勉強を続けられる自信が持てなかったため
進学することに決めました。
私は理系のコースでしたが化学も物理も興味が持てませんでした。
それらの勉強が避けられない学部・学科を外していった結果、
いくつかの候補が残りました。
残った候補のうち、情報系は将来食いっぱぐれなさそうだなと思い、
工学部の情報系の専攻がある学科を選択し、入学しました。

余談ですが、入試の点数を開示したところ、
数学の点数が同じ学科の友人達の半分くらいしか取れておらず
やっぱり自分は理系に向いていないのだろうなと思いました。

大学&大学院時代

上記のような消去法の連続で進学したこともあり、
1年次必修の基礎科目はほとんど興味を持てませんでした。
出席カードだけ記入して退室、居眠りなどをよくしていました。
今となっては非常にもったいないことをしていたなと思います。

そんな不真面目な学生でしたが、
週に1度だけある専攻の基礎科目日は少し楽しみでした。
その日はプログラミングの実習や
論理学、アルゴリズム、コンピュータアーキテクチャなどがあり、
これらについては純粋に面白いと思えるものが多かったです。
2年次以降も専攻の科目は興味をそそるものが多く、
学校に行くのが億劫でない日はそれなりに講義に出席しました。

それなりの興味と出席でほとんど単位を落とすこともなく
順調に3年次の単位まで取得し、研究室選びのタイミングが訪れます。

当初私はロボティクス系の研究室を志望しようとしていました。
深い理由はなく、動作から知的さを感じるロボットを見て単純に面白いと感じた、
卒業後の産業分野での活用イメージが分かりやすかったぐらいの理由でした。

しかし、例年その研究室は成績上位者で枠が埋まり、
私の年も上位の何名かの同級生が志望しているという情報が入っていました。
そこで、リスクを取ってまでして本当に行きたい研究室なのか考え直しました。

その結果、私は知能や情報処理の仕組みには興味があるが、
機械を動かすことには興味がないということに気付きました。
また、基礎的な数学力の低さから
アルゴリズムなどの理論研究も向いていないだろうと認識しました。

ここも消去法で絞り込んでいった結果、
実験心理学のアプローチで人間の認知について研究している研究室に辿り着きました。
研究内容がやや基礎研究寄りであることなどから
就職面で不利になるかもしれないことを覚悟して志望し、
無事に研究室生活をスタートすることができました。

大学院進学に際しては近い分野の研究者が多く在籍し
実験設備の面でも充実していた同大学の別の大学院に進学しました。

大学院で所属した研究室は他大学から進学してくる方も多く、
理系文系問わず様々なバックグラウンドの方々と互いに
知識や考え方を共有したり議論したりと、とても面白かったです。

就職活動

大学院進学を決めたのはモラトリアムを得たいという不純な動機が大きく、
博士課程まで進む気はありませんでした。
また、研究内容を生かして就職先を見つけるのが難しいことも早々に分かったため、
これまでの研究は趣味だったと割り切って就職活動を進めました。

この時点でも相も変わらずやりたいことはなく、
楽に働けてほどほどお給料が貰える企業に入って
プライベートを充実させたいなーなんて考えていました。

そんな企業を探し当てるために就職四季報を全ページめくりました。
年収や退職率、業績の変化などを確認してめぼしい企業を書き出し
そこから自身の適正や競争倍率などを予想しながらフィルタをかけていきました。
データに基づいて判断するという習性は当時からあったのだと思います。

消去法で残ったものは大きく括るとメーカーとSIerでした。
就職活動期間中に起こった3.11の震災に影響を受けた私は
工場や設備などの固定資産から利益を生み出すメーカーに脆さを感じ、
人間の能力で利益を生み出すSIerの方が良いなと、SIerを中心に選考を進めました。

面接を受ける中でもっとも雰囲気がゆるく、
業績も好調でお給料も悪くないなーと思っていた企業から
最初に内定をいただき、それで就職活動を終えました。

因みに、当時からデータ分析専業の某B社の業務内容は
非常に面白そうだなあと感じていました。
しかし、ユーザーとして古典的な統計学や多変量解析を使っていたに過ぎない自分には
もし入社できたとしても入ってから大変だろうなあと思って見送りました。

1社目(SIer

入社してみて、ゆるくて風通しも良くてかつ20代のうちはお給料も高く、
予想通り働きやすい会社だったと思いました。

ただ、配属後の数か月はSEとしてシステムの改修やテストを担当していましたが、
私は業務内容に全く興味が持てず、この仕事は向いてないなーと感じていました。
そう悶々としていた頃に、先輩がレセプトデータの集計分析を行っていることを知り、
少しずつ仕事を振ってもらう様にお願いしました。
Accessでクエリを書いて集計してレポートにまとめるだけの仕事だったのですが、
この経験が繋がって、新規で発足したデータサイエンス領域でのビジネス探索チームに
異動することができました。
チームのリーダーと、私と同時期に中途採用で加わった先輩の2人は
データサイエンティストとしてもビジネスマンとしても非常に優秀で
刺激的な日々を過ごすことができました。
彼らと一緒に働く中で仕事に対する捉え方が
「お給料をもらうために仕方なく取り組まなければならないもの」から
「本気で取り組めば面白いもの」に変わりました。
勉強会に参加したり、自分で書籍を買って学習するようになったのも
これがきっかけです。

その後、先輩方が会社を去り、出資先にマネージャーが出向したりと、
もはやチームとしての体を成していませんでしたが
私がリーダー的なポジションになりました。

ビジネス上は出口が見えず詰みに近い形でしたが、
結果として約2年間に渡って探索を継続させてもらえました。
自身のデータサイエンティストとして歩み始めたキャリアを途絶えさせないためにも、
データ分析案件の掘起こしから中途採用による人員補充、新人のOJT指導など
できることは色々と実施しました。

昨年の4月に組織の再編があり、
メインのミッションがデータ活用周りのビジネス化ではなく
IoTやAIに関する調査やビジネス検討になりました。
それからの1年と数か月間は、グループ会社の技術交流会で発表したり
他部署の研究開発の支援をしたりと
以前に比べればだいぶ技術者寄りのポジションで働きました。

転職活動

あまり大きな不満はなかったのですが、
将来のことを考えると、居心地の良い環境で
のらりくらり生きてる場合じゃないなと漠然と感じていました。

そんな中、年度が変わってOJTで見ていた後輩が異動になり、
研究開発として携わっていたものがある程度形になったり、
社内外でお世話になった方々が退職されたりと
色々タイミングとしてキリが良いなと感じ、出ていくことにしました。

これまで他社のデータ分析のお手伝いしている中で感じていた色々を
転職によって解消したいと考えていました。
具体的には以下です。
 ・データサイエンスの力で直接的に自社ビジネスを拡大したい。
 ・ビジネス拡大に貢献できるという前提で、お給料も上げたい。
 ・施策側まで意識したプロジェクト運営をしたい。
 ・大企業の中の仕組みを体験して理解したい。

履歴書もまだ書き上がっていないうちに見事に合致する求人を見つけ、
一番最初に応募したその企業から内定をいただき、決めました。

2社目(金融系)

現在です。転職して良かったことはいくつかあります。
 ・自身の工夫によって売上に貢献できるポジションになった。
 ・年収が4割ぐらい上がった。
 ・データ分析以降の施策部分の難しさを感じられるようになった。
 ・大企業の価値観、働き方を知ることができた。
 ・朝が早くなった分、家に帰る時間が早くなって夜の時間が生まれた。
 ・SQLの読み書きに慣れた。

悪かったことは書いていると新年を迎えそうなので、また今度。

今後

今の仕事の仕方(スピード感、技術への触れなさなど)をずっと続けていると
市場価値は下がっていくだろうなあという危機感があります。
採用された責任は果たそうと考えていますが
その後のことについては色んな可能性を考えたいと思っています。

可能性を考えるにあたっては
以下の2つを大事にしたいなと考えています。
 ・自分の知見や技術を十分に活用する。
 ・コスト削減などの効率化だけでなく、新しい価値を生み出す。

これらを本業として実現するために転職するのか、
本業とは別に実施できる副業しやすい企業に転職するのか、
はたまたフリーランスになるのかとか
色々ありますがこれらはじっくり考えていこうと思います。

この年末年始は上記検討の材料とするため、
ボランティアとして某プロジェクトに参加しています。

総括

これまで成りたい自分を設定しないまま
その時々の消極的な理由に基づいて人生の選択を行ってきました。
しかし、その割には人に恵まれたりタイミングに恵まれたりと
色々な偶然が重なったお陰で
良い生き方ができているのではないのかなと思いました。

これからも助け助けられながら生きていきたいと思いますので
皆さま来年もどうぞ宜しくお願い致します。